目的は父の生活面のサポートとグループホームで生活する母に会うこと。
両親ともに元気な様子でした。
このところ実家に行けなかったので、今日は両親の元へ。新幹線使って1泊しかできないのは、ちょっともったいないけど
— ゆきの@初級同居・介護嫁 (@yukino_50life) 2019年6月21日それでも行くことが大事と夫に言われた。確かにそうだわ。行くよ〜と連絡を入れた時の父の弾んだ声。やっぱり行かなきゃ!と思った。#介護 #見守り #遠距離介護
要介護認定の申請から決定まで
母が認知症と診断されたのは5年以上前のこと(それ以前から発症していたと思われます)。
在宅介護を経て、認知症対応のグループホームに入居して3年が過ぎました。
診断された当初は家族のサポートを受けながら生活をし、要介護認定もまだ受けていませんでした。
理由は認定を受けても、使いたいと思うサービスがない(ヘルパーさんに来てもらうのはイヤ、デイサービスもイヤという状態)と本人も父も思っていたからです。
それから半年後に心筋梗塞で緊急入院、手術をし、入院中にようやく認定の申請。
退院後に出た結果は要介護2でした。
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今の母の様子
グループホームでの生活が始まったばかりの頃は、帰宅願望が出ることはなかったものの、自室で一人で眠ることができず、夜もスタッフがいるリビングに布団を敷いてもらって休んでいました。
生活に慣れた現在でも、「家族さんがいらっしゃると表情が変わりますね」と言われるほど、家族の訪問を待ちわびているようです。
私は遠距離に住んでいることと義父の介護、見守りが必要なことで、月に1回程度しか会いに行けませんが、帰り際に「また来るからね。待っててね」と言うと、はにかんだような笑顔を見せてくれます。
私が娘だということは多分もう理解できていないですが、安心できる存在だという認識はあるようです。
二度の大腿骨骨折、座骨骨折などがあり、移動は車椅子。
現在は要介護5です。
写真に興味を示す母

「認知症の母が昔の写真に反応を示す|「回想法」の効果」という記事に書いたように、母は昔の写真に興味を示します。
自分の兄弟姉妹の顔は忘れてしまっていても、両親の写真を見ると、「お母さん」「お父さん」と口にします。
特に父親(私の祖父)のことは強く心に残っているようです。
私は三姉妹の長女ですが、母にとって三人の子育てに父親が大いなる協力者でした(祖母は私が生まれる前になくなっていたので)。
末の妹が生まれた頃、私は幼稚園の年長。
遠足などの行事にはいつも祖父が来ていました。
そういう関わりが多かったせいもあるのでしょう。
また母は長女で下に妹、弟が四人いた分、両親に甘える時間はそう多くはなかったと聞いています。
そんな中で父親と二人きりで行った旅行の思いでは、認知症になる前もなってからも、何度も話してくれました。
父親への強い思いが、写真への反応となっているのだろうと思われます。
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花の写真に対する反応

毎日母の元へ通う父は、写真を通して母と会話をしています。
要介護5でかなり重度ではありますが、何もできなくなったわけではないですし、何もわからなくなったわけではありません。
人物の写真だけでなく、花の手入れが大好きだった母のために花の写真を用意しました。
母のためでもありますが、会話のきっかけ作りができるようにと父のためでもあります。
ダイソーで買ったポケットアルバムに写真を入れて父に渡したところ、何の花か説明できるよう名前を書いて貼ってほしいとの要望が。
父は自分のためにそう言ったのですが、この文字に母が反応を示しました。
「ユリ」「ヒマワリ」「ハス」・・・と声に出して読んでいます。
もう文字を読むことはできないだろうと勝手に思っていた私と妹は驚き、父は驚くと同時に喜んでいました。
「私のために名前を書いてもらったのに、お母さん読んでいるね」と。
「ペチュニア」「ラベンダー」「カーネーション」・・・といった少し長い文字も読んでいます。
そんな母の様子に、また新しい写真を用意したいという思いを強く抱きました。
写真を選ぶ時間は母とともに過ごす時間

花の写真を選んだのは、母が花を見るのも育てるのも大好きだったから。
子どもの頃に一緒に育てた花や、母が好んで育てていた花、好きだと言っていた花などを思い出しながら選びました。
選ぶ作業をしている時、私の頭の中にあったのは母と過ごしてきた光景。
そんな時間は私にとって、遠く離れていても母とともに過ごす時間に等しいものでした。
季節に合った花の中から母の好きな花を母を思いながら選ぶ。
私のことを娘だとはわからなくなっても、母は母。
私が母の娘であることには変わりありません。
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