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老眼が進んで細かな文字や汚れが見えにくくなってきています。
近視もありますので、メガネやコンタクトを場面で使い分けています。

今までにもいくつか老眼に関する記事を書いてきました。


遠くも近くも見えにくくなっているだけでなく、少しずつ体調やものの考え方に「老い」を感じているこのごろです。


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目次


 ・お母さん、ごめんね
 ・叔母ちゃん、ごめんね
 ・経験してみないとわからないこと
 ・経験していなくても推し量ること
 ・まとめ


お母さん、ごめんね


食器洗いは食洗機がメインですが、手洗いも併用しています。
乾いた食器を片づけようとして時々気づくのが洗い残し。

掃除をしていてもそうです。
きちんと掃除をしたつもりが、床の隅にホコリや髪の毛が落ちている。

よく見えていないこと、さらにその状態なのに気を付けなかったことが原因ですから、がっくりと肩を落とすことになります。

実家や義実家で汚れが残ったお皿や小鉢を見かけたことがあります。
義母にはさすがに言えませんでしたが、母に言うと
「よく見えないのよ」と。

そんなはずないでしょ、言い訳しちゃって・・・と内心思っていましたが、当時は自分がいずれ同じようになるとは思いもしませんでした。
お母さん、ごめんね。

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叔母ちゃん、ごめんね


叔母によく言われたのは、
「年賀状に書いてある文字が小さくて見えないのよ、もっと大きな字で書いて」ということ。

そんなぁ・・・と思いましたが、今の私ならわかります。
ここ数年は自分が細かな字を書きにくくなったのもありますが、年賀状にひと言添えるときは大きめの字で書くようにしています。

そういえば、同年代の友人たちから来る年賀状の文字も心なしか大きくなってきたような・・・(笑)。

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経験してみないとわからないこと


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40代のころは、まだ自分が老いることを想像できなかったように思います。
体のあちこちに変化が多少出始めてはいたものの、「老い」というものに対して思いが及ばなかったのでしょう。
当時を振り返ってみると、考えもしなかったというのが正直な気持ちです。
むしろ「若さ」というものにしがみついていたかったのだと思います。

50代になり目が見えにくくなる、手が動かしにくくなる、何もないところでつまずく・・・などを経験するようになって、母たちがそうであったことを実感するようになりました。

とはいえ80代、90代の親たちの気持ちを想像することはできても、実感としてはまだまだピンときていないのだと思います。
きっと同じような年代になってようやく本当のところを理解できるのでしょう。

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経験していなくても推し量ること


理解しきれない、実感しきれないとはいっても、親の気持ちを推し量ることは避けてはならないことです。
親の現実をしっかりと見つめなければなりません。
その上できっとこんな思いなんだろうな・・・と推し量ることは大事なことだと思っています。

そうすることによって、自分が老いていく様を疑似体験できると考えます。
親の老いに向き合うことで、同じような年齢になり体のあちこちが思うようにいかなくなったとき、初めての経験から生じる不安が軽減されるのに役立つことでしょう。

分からないことに対する不安は大きくなりがちですが、疑似体験とはいえ一度通った道があるなら不安は最小限で済むかもしれません。

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まとめ


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親とは生き様を子どもに見せることで、いつまでもいろいろなことを教え、示してくれているのだと感じます。
今まで見守られてきた子どもという立場から親に介護が必要になり見守る立場になっても、その姿から学ぶことは多々あります。

果たして私は息子たちに何かを示し続けることができるだろうか・・・。
今までもできてきたのだろうか・・・。
自信はありませんが、「毎日を前向きにきちんと生きること」がまずは自分にできること、必要なことだと思います。


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